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    「10分ルール」

    株式会社サンコム
    代表取締役 松本道彦

     「10分しかない」と思うか「10分もある」と捉えるか、同じ10分でも大きな違いがあります。「10分ルール」という言葉に出会ったのは4,5年前のことで、『10分あれば本は5~6ページ読むことが出来るし、ワープロなら400字くらい打つことが出来る。「時間がないなあ」と思った瞬間に、「10分あれば、十分だ」と自分に反論する。これが「10分ルール」だ。』とありました。確かに、云われてみるとその通りで、「10分ルール」を早速取り入れることにしました。毎朝5時前に起きてストレッチ体操をやることを日課としていたのですが、10~20分程度の時間的余裕はありました。この時間を有効活用するには「10分ルール」はまさに打って付であり、朝の読書タイムと位置付けることにしました。

     早朝は夜に比べると頭もすっきりしており、同じなら少し小難しい本がよかろうと「孟子」を取り上げました。500ページを超える大著であり、夜なら2,3頁も読むと眠くなってしまいそうな代物ですが、朝の10分、20分なら集中することもさほど難しいことではありませんでした。読み終えるのに丸々1年を要しましたが、朝の時間を使わなかったら先ず読むことのない本が読めたのですから大きな収穫でした。尤も、読んだというより字面を追っただけと云った方が正しいかもしれません。

     次は何に挑戦するか迷ったのですが、論語を筆写することにしました。毎年、年賀状の時期になると筆で賀状を書きたいとの思いが募ります。論語は曲りなりにでも一応読んでいたので、500章句を書き写せば復習になるし、少しは字が上手になるのではとの下心あってのことです。結論から言うと全くの徒労に終わりました。正しい書き方で練習すれば効果もあるでしょうが、ただ書けばいいというものではないということを実感しました。

     次に選んだのは、いつかは読まなければと本箱に鎮座させている本が何冊かあるのですが、その内の一冊「孫子」でした。前書きを読むと、原文を音読みで100回、読み下し文を100回やれとあり、まさに「読書百遍義自ら見る(どくしょひゃっぺんぎおのずからあらわる)」です。取り敢えずは1回ずつとやり始めたのですが、音での読み方がわからない字は漢和辞典を引きながらですからとても読んだと言える状況ではありませんでしたが、何とか最後までたどりつきました。

     佐藤俊明著「修証義(しゅしょうぎ)に学ぶ」は以前に読んでいたのですが、これに収められている修証義原文を読誦してみようと何故かそんな気になりました。これは、道元禅師の主著「正法眼蔵」を中心に引用し、編纂されたものです。 経典は、全5章3704文字から成り立っており、実際に声を出して読んでみると非常にリズミカルで朝のひと時の過ごし方としてはお奨めです。1カ月ほどしてから「読本 仮名大学 『大学』を素読する」をも併せて音読することにしました。夏になると窓を開けてやっていたので、隣の人に何か宗教に凝っているのではと勘違いされた事もあります。「読書百遍で繰り返し繰り返し続けることにより、自分の血となり肉となる」これを実践しましたが、血となり肉となったかは疑問です。

     次の「10分ルール」の題材を何にするか、講談社の吉田松陰著、近藤啓吾全訳注「講孟劄記(こうもうさっき)」は上下巻合わせて1100頁もあり、これはちょっと荷が重いかなと思わないでもありませんでしたが、気長に取り組めばいいかと挑戦しました。所々「孟子」を引っ張り出して原文を参照しながらでしたが、比較的面白く読むことができました。

     今は、佐藤一斉の「言志四録」に挑戦中です。これは、「言志録(げんしろく)」「言志後録(こうろく)」「言志晩録(ばんろく)」「言志耋録(てつろく)」の四編からなっており、1133条の語録が綴られています。「言志晩録」の中ほどが終わったところですからもうしばらくかかります。

     ふとしたことで始めた「10分ルール」の活用ですが、改めて振り返ってみると僅かな時間の積み重ねでかなりのことができるものだと、ちょっとびっくりです。1年365日毎日やっているわけではありせん。お酒の飲みすぎでしんどいとか体調がすぐれないとか、寒い日は布団が恋しいと云ってはサボる日も少なくなく、ここら辺りが少し不満ではありますが、何が何でも毎日やるぞではなく、あまり無理をしないから続いているのかもしれません。

     佐藤一斉の語録に「少(しょう)にして学べば、則ち壮(そう)にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。」があります。もはや、少でなく壮でもなく、老いて学べば・・・の域に我が身は達していますが、なかなか「死して朽ちず」とは云えません。訳者の川上政光氏は老いて学ぶのは健康に良いから「老いて学べば寿(いのちなが)し」と云った方が無難と述べています。

     朝の僅かな時間であるが故に少々難解な物も読むことができます。また、多少の刺激は気のせいかもしれませんが脳の活性化につながるのではないでしょうか。ということは、健康にもよく「老いて学べば寿し」となります。

     少しくらいは無理をしても毎日続けていこうとの思いを新たにする次第です。