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    「自分で自分を鍛える人を作る」 -企業における人材育成—

      

    元 日立金属株式会社(事業役員)研修センター長
     縄 田  良 作 氏


      皆さん、こんにちは。ご紹介頂きました、縄田良作でございます。昨年埼玉県の安岡正篤先生の勉強会で松本支部長とご縁をいただきまして、本日皆さまにお話しをすることになりました。よろしくお願いいたします。
     テーマは何でもいいとのことでしたが、私が経験し、そして皆さま方の会社の経営に少しでも役立つことをと思いまして、『人材育成』を取り上げました。皆さま方には釈迦に説法かもわかりませんが、私が研修センターで研修生に話をしたことを織り交ぜまして、お話しさせていただきたいと思います。

                             まえおき

    己紹
     本題に入る前に、パワーポイント6枚でまえおきさせていただきます。今、私の紹介がありましたので、自己紹介は簡単にします。名前は縄田良作です-私の親がどういう職業かというのは、もうお分りかと思います。(笑) いい百姓になってくれという両親の願いが名前にこもっていたわけですけども、どうもそのようにはなりませんで・・。私は、今年66歳になります。百姓のせがれで、技術屋として現場でモノ作りをやり、そして海外の現地法人の立ち上げを4年半やり、最後の4年は、静岡県御殿場市の富士山麓にある会社の研修センターで、4年ほど仕事させていただいて、昨年定年退職いたしました。

    私の自己啓発
     私は仕事の傍ら自己啓発をやってきまして、今はほとんど失効しているんですが、その昔資格もいろいろ取ったというお話なんですけれども、いくつか申し上げてみますと、技術士、中小企業診断士、英語検定1級、特許管理士、環境カウンセラー・・。ひと頃は、一年一資格を目標に頑張ったこともありました。上司が私を見て、こいつ会社を辞めるんじゃないか、独立するんじゃないかと、プレッシャーをかけてきたんですけれども、私は自分の勉強としてやったわけです。しかし海外に4年間行きますと、その間に更新研修が受けられませんで、ほとんどが失効しました。いずれにしても、私は自分自身のために勉強してきました。そして現時点やっていることですが、30代40代の若い人もいる読書会を2つ、併せて20人弱の人と読書会を持っています。さらに、趣味で個人誌を二つ書いておりまして、迷惑がられているかもわかりませんが、ご縁のあった方に一方的にお送りしているというような人間でございます(笑)。
     私は若い頃から中小企業とか経営とかいうことに関心がありまして、診断士資格を取るときもいろいろ勉強したわけですけども、中小企業の経営課題としては、販売、人材、コスト、財務、技術・開発・・。これらをみてみますと、販売だと営業ですが、営業の戦略づくりから営業活動から、すべてこれらを人がやるわけです。コストダウンも人がやり、開発も人がやるということで、やはり「企業は人なり」と思うわけです。特に中小企業の場合は、限られた人の中でいろんな仕事をやってもらわないといけない。そうすると、一々上司の指示を仰ぐようではいけない。1人1人が力をつけて、自分の考えで動いてもらうことが必要じゃないかなと思っております。

    経営とオーケストラ
     経営は、よくオーケストラに例えられます。社長は指揮者、社員は演奏者、設備・技術は楽器、理念とか社風とかいったものは楽譜と対応させられますが、これらのどの一つが欠けてもオーケストラは良い音楽が演奏できないし、経営もうまくいかないということ。これはお分かりだと思います。
     経営・オーケストラのポイントは、二つあると思います。その一つは、各メンバーが、その任せられた楽器や立場を立派に演奏する強い「個」であるということ。もう一つは、これら個々の強いメンバーが、力を結集して立派な「ハーモニー」を作り出すということです。
     楽譜を例をとりますと、これはあまり目に見えないわけですが、私は大変大事なものであろうと思います。例えがどうかわかりませんが、何年か前に綱領のない政党があったようですね。「綱領」とは、辞書には「団体の目的方針などを要約したもの」とあります。皆さまの協会も、綱領というか理念というものはあると思います。会社においては経営理念、あるいは社風ですね、これらを社員全体が共有するということが大事だと思います。
     会社においては、最近大塚家具とか、東芝もそうですね。あれも内紛がそもそもの発端というふうに聞いておりますし、韓国のロッテ、これも内紛ですね。オーケストラが今から演奏しようというときに、私はクラッシックがいいとか、私はポピュラーだとか言ったんじゃ、演奏はもうばらばらになるわけですから、これは目に見えませんが大変大切なものだと思います。

    人材育成、私の印象
     テーマを「人材育成」にした理由を、申し上げます。私は、今の日本人全般、色々な意味でもっと勉強しないといけないんじゃないかと感じるんです。研修センターでは、まず文や話が下手な人が多いんですね。それから、感謝の心が少ない人がいる。特に若い学卒で感じることですが、研修の最後に書く感想文に、年配者の多くは何らかお礼の言葉がつけ加えてあるんですが、若いエリートたちは、研修のやり方がまずいとかこうすべきだとか何だとかお書きになります。それはそれであり難い指摘なんですが、お世話になった人への思いやりや謙虚さが感じられないものが多いんです。読書感想文も書いてもらいましたが、読み込みが浅く表面的な理解でいわゆる読解力不足、そしてしっかりした自分の意見や感想を表に出すことができない表現力不足を感じました。
     それから、若い人全般に、どうも元気がない、自信がない、そして弱いように感じます。社会がやや暗いものでやむを得ないかもしれませんが、そういう人たちの多くは、読書をしていないようです。そして人生観とか哲学も持っていないようなんです。しばらく話せば、大方のところは感じ取れます。これについては、私は反対に考えます。すなわち、しっかりした人生哲学や教養がないがために、自信もない、精神的にも弱いんじゃないかと思えるんです。
     以上のようなことから、私は日本人全般にどうも勉強不足じゃないか、それも知識じゃなくて、哲学とか人間修養とかが不足しているんじゃないかと思います。特に、若い人には早く気がついてほしいと思うんです。

    「三育」と人材育成の手段
     古代中国に、神様にお供えものをする三本脚の「鼎」(かなえ)と呼ばれる容器がありますが、これは脚が1本無くなると倒れます。これと同様に、人間修養に「知育、徳育、体育」の「三育」があり、このうちの一つでも欠けると、人として立つことができないといわれています。「知育」は、専門知識とか教養ですね。「徳育」というのは感謝の念とか人への思いやりとか、そして最後の「体育」は体力ですね。
     人材育成の手段についてですが、45年前に富士研修センターができたときに初代センター長が社報に書いたことをまとめたんですけど、3つあります。
     一つは「OJT」ですね、仕事の中で人を鍛えるOJT。次に、OJTだけでは習得できない知識とかノウハウを、研修や学校で学ぶ「OFF-JT」があります。もう一つの大事なこと、それは「自己啓発」です。初代センター長は、「われわれの任務は、単なる教育訓練に留まらない、従業員が自分の今の能力を自覚して自己啓発をして仕事に取り組む意欲を醸成する、これは管理者の仕事だ」と言っています。さて思うんですけど、「OJT」と「OFF-JT」は、会社や上司から言われて、上から強制的に全員共通にやらされるわけです。でも社長にまでいく人がいれば、片や万年ヒラの人もいたりするわけですね。その大きな違いっていうのは、1つはこの自己啓発だと思うんです。
     40年間会社におりましたが、この「自己啓発」に会社はあまり熱心ではありませんでした。多くの上司をみましたが、「仕事をしろ」と言う上司ばっかりですよ。あれやれこれやれと。熱心に勉強しろとか、人生の哲学とかを語って頂いた上司は、ほんとにわずかでしたね。
     なぜこうなんだろうかと、なぜ会社は自己啓発にあまり熱心じゃないんだろうかと考えますと、まず1つは、「これは個人に任せられている、だから会社がとやかく言うもんじゃない」―正しい、しかし私はこれは建前だと思いましたね。ほんとは上司もやっていないんじゃないか。自分自身がやって、自己啓発がほんとに大事なことだと思ったら、自分の可愛い部下には勉強させるはずだと思います。自分がやっていないから部下に言えない、ということが本当のところじゃないかと思いました。「自己啓発はローリスク、ハイリターン」と言う人がいましたが、自分で自分を鍛える社員ができたら、会社としてこんなにありがたいことはないと思うんですね。
     この自己啓発の中には、専門と教養の二つあると思います。専門ですが、若いときに狭くても深く掘り下げ得意分野を持つこと、自分の専門分野で一流になる—このことはとても大事なことだと思うんですね。そしてある程度歳がいって地位も上がってきたら、幅広い教養を身につける必要があろうかと思います。今日は、教養のほうの話を中心にしたいと思います。以上がまえおきでございまして、本題に入らせて頂きます。

     本題は2つありまして、前半が「知育」、特に教養ですが、教養は読書を除いては論じられないと思いますので、読書を取り上げています。そして「徳育」については、しつけについて取り上げたいと思います。

                               知育

     2年前の新聞ですが、『大学生「読書ゼロ」4割』とあります。「1日の読書時間26分、まったく本を読まない0分と回答したのは4割」「書籍費は節約の対象になっている」とあります。これを読んで、大学とは一体何しに行くところかと思うんですね。一方、アメリカではこういうことが言われております。「大学においては月に10冊、年間120冊、卒業までに480冊を読ませて、専門の前に教養の基礎に重点をおく」と。とにかく大学ではたくさんの本を読ませ、そして企業に入ったら入ったで「リーダーに必要な能力として、専門が25、革新創造力が25、リベラルアーツが50」と言われています。このリベラルアーツは、教養と訳しますね。教養が50ですから、幅広い教養は企業で重視されるということが言われています。

    教養—読書
     私は研修センターで毎回、「1ヶ月に本を何冊読みますか」という調査をやりました。これには漫画、雑誌、新聞、研究専門誌は含みません。私がいつも注目しているのは、このゼロの人です。1ヶ月一冊も読まない人-ということは、1年間一冊も読まないということですね。このゼロの人の比率を「不読率」と言いますけど、この数字に着目しています。なぜかというと、お分かりだと思いますが、ゼロと1冊の差は1冊なんです、1冊と2冊の差も1冊、4冊と5冊も1冊なんですけど、ゼロと1の差は他とぜんぜん違いますね。ゼロはいくらかけ算してもゼロはゼロ・・・ということで調べてみました。答えは、あとでお出しします。

    「人を知る標準」
     これは、「実践人の家」の森信三先生が提案されているんですけど、「師匠」「一生の目標」「どんなことをやってきたか」「愛読書」「友人」、この五つを知れば、この人はどういう人かということが分かるというんです。気むずかしいお客さんだとかやかましい上司だとかも、これらを知ればどんな人か分かると言われます。私は、この中でやっぱり順番として、愛読書じゃないかと思うんですね。その人がたくさん本を読んでおれば、その中で自然と、あっ、この人立派な人だなと思って、師匠にする。その先生に習って一生の目標をたてて努力精励すれば実績が出る。そういう人にはそういう友達が集まる-ということで、私はこの中で読書が最初じゃないかと思うんです。本を全く読まないで、人生の師に出会うというのは、なかなか難しいんじゃないかと思います。

    日本人が勉強しない、意欲がない、貧しくなっているというデータ
     以下、データがざっと出ます。「高校生の意欲に関する調査」ということで、日本、アメリカ、中国、韓国の高校生に質問したと。「偉くなりたいですか」―日本、アメリカ、中国の高校生は、「偉くなりたいです」が多い。日本はこんなに少ない。次に「収入があればのんびりしたいですか」に対しては、日本はこれ、半分近い高校生が、お金があればのんびりしたいと言っています。このレポートの結論としては、「日本の高校生は老人のようにたそがれている」とありました。
     さて次が、政治経済など、日本社会のトップに君臨する東大生です。「東大生の蔵書数の変遷」、こんなことを調べている人がいるんですね。まず1974年、42年前、こんな分布だったんですね。一人平均200~300冊は持っていそうですね。600冊以上の人もいます。それから12年経った1986年はこういう状態です。蔵書は少なくなりました。そしてそれから14年後の2000年、今から16年前です。この年は、少ない人のために、「50冊以下」の項目を新たに作ったようです。その50冊以下の人が40%ですよ。なおこの中には教科書も含むとあります。大学は教授が自分の本を授業に使うので、たくさん教科書を持っていますけど、それを含めて50冊ですから、「50冊以下」の学生さんは、ほとんど本を持っていないんじゃないかと思うんですね。ですから、皆さんのお孫さんが頭が良くて、さて大学はというときに、東大はちょっとお考えになったほうがいいんじゃないかと思います。(笑)
     さて、「日本人の読書」はどれだけかということですが、これちょっと古い2008年のデータですけど、1ヶ月に1冊も読まない人は約半分ですね。半分の人が1冊も読まない。今はもっと増えていると思います。
     それから「学習到達度調査」というのがあります。「PISA」と言います。《Programme for International Student Assessment》。「OECD」30カ国近くの国々の高校1年生に、共通テストをやっているんです。2000年にスタートし、3年ごとにやっています。内容は読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーの三種です。最初にやった2000年では、日本の高校1年生は優秀だったんです。科学と数学は、1位、2位だったんです。それから3年経ったら少し下がった。そうすると、「PISAショック」という、日本の教育界はショックを受けたそうですね。実はこの少し前からゆとり教育が始まっていましたから、それに対する批判が出たというんです。あとは下がる一方です。やっと2012年に少し持ち直したということなんです。日本の子どもは理数系に強いって聞かれたことはありませんか。それは、実はこの2000年のテスト結果を言っていたんですね。最近ではもう言いませんね。こういう事情だったようです。日本には資源も食料もありませんから、やはり人材、それも科学技術ですよね。従って科学とか数学とかのテスト結果が悪いというのは、心配すべき内容だと思います。日本は、いろんな技術でもって世界トップクラスを走らないと、難しくなると思います。
     次に「GDP一人当たり」です。GDP総額は、2010年に日本は中国に抜かれたということは広く知られているんですが、一人当たりGDPはあまり取り上げられておりません。1990年代前半は、日本は世界2位、3位だったんですね。ところが今はどうかというと、20位前後ですね。これは実感としてお分かりじゃないでしょうか。昔円が強かったころは、日本はニューヨークのロックフェラービルとか世界の絵画を買い漁ったことがありました。ところが今はどうでしょう。銀座を歩いていたら、顔は日本人に似てるんですけど、言葉は分りません。有名ブランド店では、誰がこんな物を買うんだろうか、時計一つが400万円ですよ。日本人じゃないでしょうね。大きなバック下げて、日本にとっては消費してくれるのは有り難いんですけど、やっぱり感じますね。日本のGDPの低下っていうのを・・。

    戦後70年、日本人の精神に及ぼした社会的変化—「ゆでカエル現象」
     この説明、少し長くなりますが、一言で言うと「戦後70年のいろんな社会的変化が日本人の精神に影響している」とまとめました。70年の間に、日本人の精神変化に及ぼした色々な要因を、ここに挙げています。詳しくはこの本(「なぜ日本人は学ばなくなったか」斎藤孝)にあります。
     ・まず戦争直後、今まで天皇陛下万歳と言っていたのが、もう価値観が180度変わって、自分たちは戦争をした悪い国だ、日本はだめな国だと、こういう自虐歴史観がずっとまん延して、その空白の精神状態に北の方から赤い思想が降りてきた。
     ・そして若い人がそれに染まって大学紛争ですね。多くの方のご記憶にあるんじゃないでしょうか。1969年、東大安田講堂事件があって、東大は入試を中止したんですよね。私はちょうどその年が入学試験だったから、強烈に覚えています。私は行った学校では、構内は封鎖されていて、狭い門から中に入ると催涙弾で目がチカチカして、壁はペンキでべたべた、立て看板は乱立、アジビラは辺り一面散乱。教室に入るとガラスは割られ、机と椅子はありません。燃やされているんですよね、ちょうど寒いときでしたから、暖を取ったんだと思うんです。一番ショックだったのが、教授が若い学生に取り囲まれ、つるし上げられているところを見たときです-価値観、道徳観が大きく変わった気がしました。入学したものの授業はありませんで、半年後にやっと始まったと思ったら、先生が教壇に立って、我々はその周りに立って勉強しましたよ。それぐらい日本中の大学が紛争で、物も精神も滅茶滅茶になっちゃったんですよね。
     ・その後、よど号ハイジャック事件、浅間山荘事件、ダッカハイジャック事件などの凶悪事件が、連合赤軍によって引き起こされました。こういうことがずっとありました。それからオウム真理教、1995年地下鉄サリン事件。若者がどんどん過激化してきた。しかし社会全体は、こういう若者が騒ぐっていうのはもう嫌になってきたんですよね。
     ・それでどういうことがおきたかというと、テレビ、ロック、ウォークマン。
     ・そして2002年から「ゆとり教育」が10年間ありました。これはそもそも、詰め込み教育などに反対する日教組の提起だったようですが、実際にやった。内容的には、例えば円周率は3.14と私たちは習ったんですけど、彼らは3と習った。教科書はみな薄くなったんですね。ある本には、理数系の教科書は14%薄くなったと書いてありました、そして子どもの理数系の学力が落ちた。土曜日を休みにするといったら、子どもは何をするでしょうか。日頃できなかった勉強を土曜日にやろう、などというような立派な子どもはあまりいないと思うんですよ。普通は寝るか遊ぶんじゃないでしょうか、子どもだったら。私など田舎にいた人間は、近くに家庭教師もいない、塾もない、円周率3としか習わない。ところが都会のお金持ちは、子どもを塾に行かせて、どんどん学力が上がる。だから、学力格差がいっそう拡大しちゃったという見解もあります。
     10年経ってやっと反省して元に戻して、そしてやっとこの5月10日に、文科大臣がゆとり教育決別宣言をやったぐらい、この影響は大きかったと思います。この間10年間の学生達が今社会にずっと入っているんですね。4年前くらいから入り始めたと思いますが、これはボディーブローのように今後効いてくるんじゃないかと私は思います。何事も両方良いことはないんですね。何か良かれとやったことも、必ず何か副作用が起きるということを物語っている例だと思います。何も分からない子どもに、「自由」を与えた実験は、結局失敗だったと思いますが、しかしこれに関しては、子どもには全く責任はなく、むしろ被害者であると思います。
     ・それから、「雇用環境の変化」です。終身雇用だったものが、競争激化により、リストラによって労使の信頼関係が崩れてきつつあります。
    ・そして最近の「ネット・スマホの普及」です。皆さんご覧のように、電車に乗っていてこうやっている(画面をなぞる)人って、今7,8割いるんじゃないでしょうか。スマホを握りしめ常に何かを見ていないと不安を感じる、一種の中毒ですね。今文庫本なんか読んでいる人は珍しいし、あと数年すれば本を読んでいる人って稀少動物かもしれないですよ。あっ、いたいたっていうくらいになって(笑)。こんな話を研修センターでしますと、研修生が「私はITって悪いこととは思いません」って。もちろんです、私もネットにはお世話にななんですけど、70年という後に歴史を振り返って考えてみたら、あー、あの時のこれとかあれとかが少しずつ積み重なって、いつの間にか全体が大きく違う社会になってしまった、とこういうことじゃないかと思います。こういうのを「ゆでカエル現象」と言いますよね。ご存じでしょうかね。熱湯にカエルを投げ込みますと、熱いからぴょんと飛び跳ねて逃げてしまう。ところが水にカエルを入れて、下から少しずつ加熱する、少しずつ、そうすると水温の変化を感知できずに茹であがって死ぬっていうんですね。今の地球温暖化がそうだと思います。何となく暑いな、今年の夏は暑かったなぁとか、異常気象が多いなぁと、少しずつ少しずつ変わっていく。いつのまにか茹であがってくる。こういうのをゆでカエル現象と言うんですね。まさに日本の精神文化も、70年間をずっと長い目で見てみますと、そうなっている可能性がある。
     ・そして著者は、「頭を使わない社会」になっているとまとめています。昔でしたら、本を買って調べるとかあるいは図書館に行って調べるとか、そういう苦労をしていた。現代は、スマホでどんな情報でもすぐ出てくるわけです。欲しいものをぱっと取って、ポイと捨てる。知識がタダ化して、頭をどんどん使わなくなっていると、著者は言っています。

    頭を使うエネルギー
     頭を使うエネルギーの順番ですが、軽い順番に、まず「見る・聞く」-テレビを見るとかウォークマンを聞くですね。テレビなんか寝転がって見ていたら寝入ってしまいますよね、「寝てまう」って言うんですか、大阪弁では。もう寝てまいます(笑)。次が「読む」—新聞、スマホ、本を読む。もう少し頭を使うのは、「話す」—意見を話す。おしゃべりじゃなくて、自分はこう思うという意見を話そうとすると頭を使いますね。そして「書く」—文を書く、報告書を書く、レポートを書く、これは相当頭を使います。
     最初の2つは「受動」、インプットです。しかしこれだけだと活用できません。「能動」として、インプットした知識を自分の意見として話す、あるいはレポートに書く、アウトプット、これは相当頭を使います。
     人間の頭には二つ機能があって、1つは記憶機能、昔の学校教育はみんなこのテストをやっていたようです。どれだけ覚えているか。源頼朝が鎌倉幕府を創ったのはいい国1192年と、記憶ですね。でもこれは今スマホですぐに分かります。だから記憶は、コンピューターに任せたらどうかと。
    ほんとに頭にさせるべき大事なことは、思考、考える力だと思うんです。上司が「お前何を考えてんだ」って言って怒って、その人の頭を割って中を見たところで分からないわけですね。この人が何を考えてるかを知るのは、結局この人の発する話と文からしか分かりません。それで冒頭に申し上げましたように、研修生の文や話が下手だということは、結局考える力、思考力が落ちているんだと思うんです。
    それで現代人の頭はどうかと考えると、記憶はどんどんスマホに置き換えちゃって使わない、思考力も訓練しないということで、頭を使うエネルギーはこの70年間どんどん少ない方向に来たんじゃないかと思うわけです。
    これを鍛えるには、話と文を鍛えること。すなわちきちっとした話をする、あるいは文を書く訓練をするということじゃないかと思います。これをきちっとさせることで、考える力にフィードバックして、頭を鍛えることができるというのが、私の持論でございます。

    食事と読書
     体の栄養である食事と心の栄養である読書は、よく対応されます。さて食事は、私たちは朝昼晩ちゃん食べますよね。奥さんが、1食でも作らんと言ったら怒りますね。ところが、今日は本を読まなくてもいいよって言われたって何とも思いませんね。1ヶ月も読まない、1年読まなくても平気な人が、半数もいるわけですから(笑)。
     食事は、内容的には2つあるようで、カロリーや栄養という命を維持するための食事と、味覚を楽しむいわゆるグルメと2種類ある。この2種類の食事に読書を対応させますと、人として成長する教養をつける読書と、娯楽・気晴らしの読書と・・。いいとか悪いとかの議論じゃなくて、食事と読書の対応はおもしろいなと思います。

    読書に関する箴言
    読書、読書と言っていますが、では読書の定義は?と辞書を引きますと、「研究調査や受験勉強などと違って、精神を未知の世界に遊ばせたり、人生観を確固不動のものたらしめたりする」とあります。漫画とか週刊誌は含まれない。だから先ほどから申し上げていますけど、研究専門誌とか漫画とか週刊誌とか新聞はこれに含まない、勝義の定義はそういうふうになっておるようです。
     いくつか箴言を挙げております。まず、論語からですが「学びて思わざれば、即ちくらし、思いて学ばざれば、即ち殆うし」。ちょっと長いですが、ご存じの方もあると思いますけど、大事なことなので説明します。学びての「学ぶ」は人や書物から「学ぶ」だけで、自分で思わないと道理に暗いということですね。次の「思う」は自分で考える、それだけで、人や書物から学ばないと独断に陥って危ないと。だから学ぶだけの頭でっかちも、思うだけの我流・独断もいずれも危ないと、こう言われています。これはもう一度あとでお話しします。
     それからプロシアのビスマルクは「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言っています。愚者はやってみて失敗しないと分からないが、賢い人は、昔そういう失敗をした人のことを勉強して、できるだけ失敗しないようにするということですね。
     ドイツのショーペンハウエル、「食べ物は、消化によって我々を養う。読むだけでは多くは失われ、50分の1も栄養となれば精々である」。読んだ本は、時間とともにどんどん忘れていきますね。「あの本読んだか」と聞かれて、「うん、読んだよ」。「どうだった」と聞かれて、「いやぁ、いい本だったかなあ」みたいな。その程度で、私も頭も老化してまして忘れるわけですけど、そこで私たちの読書会では、レポートを作る、抄録を作ることにしているんですけど、できるだけ書くと良いということが言われております。

    頭を使う読書、自分を高める読書
     少しレベルが高くなります。小泉信三さんご存じでしょうか。純一郎さんじゃぁないんですが、慶応大学の学長をされていまして、平成天皇のお若いときに教育係をされた、人格、識見ともすばらしい方ですね、小泉信三先生。この方は「精神的思想的成長ということに価値のない読書は無価値だ」と。気晴らしに読む本は無価値だと。ちょっと厳しいですね。
     西田哲学の西田幾太郎先生、ドイツ哲学に日本の禅の考え方を取り入れて、近代日本の哲学を構築された方のようです。「お粥ばかり食っていると、胃弱になる。軟らかい書物ばかり読んでいると脳弱になる」「難解な書物に全力を傾けて食い下がっていくことだ」と仰っております。
     この2つの箴言は、結局何を言っているかといいますと、頭を使う読書、自分を高める読書、こういう読書が大事だよということを仰っているんだと思います。

    実践してこそ
     さて、何のために本を読むのか、何のために勉強するのか、ということです。訓詁学という言葉があるようですが、学生のようにテストでいい点を取るとか、名文を覚えて人に披露するとかそういうことじゃなくて、それを実践しないと意味がないと思うんです。実践してこその読書だということで、森信三先生は「足元の紙屑一つ拾えぬ程度の人間に何ができましょう」とか「何を言っているかより、何をしているか」「両者の差がひどいほど問題で、その上に有名だったら悪党性が加わる」と、こう仰っています。
     私はこれを研修生に説明するときに、2つ例を挙げるんです。同じ会社の役員ですが、この人と道を歩いていて、彼がタバコをポイッと捨てて足で踏みつけてそれを溝に蹴り込んだんですね。これ2回あったんです。ふーん、この人そういう人なのかと思いましたね。「些事にこそ人格が表れる」と言われます。この人、従業員には立派なことを言っていましたよ。いちいち言いませんけど。そんなもんですね。
     今一つ。政治家も、演説を聞いていて感心するよりも、彼が足元で何をしているかを見るほうが、間違いないと思うんです。政治家も何かまずいことがあると、「あれは秘書がやった」って言いますが、その秘書はいつもすでに辞めているんですね、不思議なことに・・。演説や大言壮語では、人は分かりませんね。
     「誠」という漢字ですが、ごんべんに成すと書きますね、言うことを成す、これが誠なんですね。だから、言ってることとやってることが違うというのは誠じゃない。誠実じゃない。まぁ漢字というのはおもしろいなと思います。

    「偉大な実践家は、偉大な読書家である」
     以上をまとめますと、実践の人は、ともすれば俺はこうやるんだ、俺はこうやってきたんだと、世間を知らずに我流に陥りやすい。一方、読書ばっかりやっている人は、頭でっかちで理屈屋。会議でも言うことは言うが、自分では手を汚さない。つまり、実践だけの人も口先だけの人も、どっちも困るねということなんですね。
     森信三先生の言葉に、「偉大な実践家は、偉大な読書家である」とありますが、これを「偉大な経営者は偉大な勉強家である」と換えて、お二人の例を挙げたいと思います。
     まず、明治の実業家渋沢栄一さんです。調べてみてびっくりしました。渋沢栄一さんが設立に関わった会社-メモしてきました-東京ガス、東京電力、帝国ホテル、王子製紙、東京電鉄、キリンビール、サッポロビール、東京証券取引所、一橋大学などなど、500くらいの会社の設立に関わっているっていうんですから、もう驚きました。この方は、日本の最初の本格的な実業家じゃないかと思います。そして渋沢さんは、論語の研究者でありました。「論語と算盤」(ちくま新書など)は有名ですが、「論語講義」(講談社学術文庫)は7冊シリーズで出ていますけど、実業のかたわら論語の研究家であったということに驚きます。
     この方に関しては面白い逸話があります。まず、彼は財閥を作らなかった、ということがあります。「私がもし富を積もうと考えたら、三井や岩崎にも負けなかったろうよ。負け惜しみではないぞ」と語ったそうですが、当時は三菱とか三井とか住友とか、みんな財閥を作ったんですが、彼は財閥を作らなかった。次が「屋形船会合事件」です。三菱財閥の岩崎弥太郎に料亭に招待され、「二人が握れば日本の実業界を動かせる。手を組もうではないか」との提案に対し、「自分一人が金儲けをする気は毛頭ない。多くの人が利益を受け、国全体を富まして行きたい」と激しく対立し、座をけったとか。「もし栄一が欲に目がくらみ、岩崎と結託していたら、後の日本資本主義は今とは違ったものになった可能性が高い」という見解もあるようです。この方は、その根底に「論語」という倫理を哲学として持っていたがための行動かと思います。
     最近では、稲盛和夫さんがそうだろうと思います。京セラを創業し、あそこまで大きくして、KDDI、AU、そしてJALの再建までなされました。この方は西郷隆盛を師とし、「敬天愛人」を座右の銘にされているようです。事業においても人生においても、自分を導く原理原則を、一貫して「人間として正しいこと」において生きてこられ、65歳で得度までされたようです。JALの再建では、無給の会長になられました。ある時の役員会で豪華弁当が出てきたそうです。「社長、この弁当はいくらだ」 社長「すみません、知りません」「こんな大赤字を出しておいてそんなことも知らないのか」と叱られたということを、読んだことがあります。これは弁当の額を聞いたというよりも、稲盛さんの見識とか哲学を、役員に徹底した、知らしめたんだろうと思うんですね。その背景には、単なる事業家じゃなくて、勉強をされ偉大な見識を持っておられるからこそだろうと思いました。

    研修生の不読率
     さて、遅くなりましたけど、研修生の不読率の話に戻ります。研修生の職種を2つに分けます。管理・企画系の課長、部長、企画職など、いわゆる大学卒と、今一つは、現場の技能系の人たちです。
    さて「不読率」の結論ですが、管理・企画系は、平均4割でした。学卒の4割が本を一冊も読んでいないんです。部下を持って偉そうにしていても、彼らの4割は全く本を読んでないということが分かりました。びっくりです。技能系の方々は、現場の管理監督者もいますが、平均8割です。8割の人は、まったく本を読まない。
     そもそもこんな調査を始めたのは、2012年の9月のある研修で、「ところでみんな本を何冊読んでいますか」と手を挙げてもらったんです。24人おりましたが、23人が1冊も読まないに、わっと手を挙げましてですね、えっとびっくりしまして、それ以来毎回データを取ってきたんです。

    学ぶ意味-「三識」
     本を読んで物知り博士になっても意味はない、これを実践してこそだ、実践と読書の両方が必要だよっていう話をしました。「三識」という言葉を聞かれたことがあると思いますが、安岡正篤先生の言葉ですね。「三識」とは、「知識」「見識」「胆識」とおっしゃっています。「一日一言」(致知出版社)を読みます。「単なる大脳皮質の作用にすぎぬ薄っぺらな識は、知識。これは本をよむだけでも、学校にのらりくらり行っておるだけでもできる」 「次に、人間生活とはどういうものであるか、どういうふうに生くべきかというような思慮、分別、判断、これは単なる知識ではでてこない、そういう識を見識という」 「しかしいかに見識があっても、実行力、断行力がなければ何もならない。その見識を具体化させる識のことを胆識と申します」 胆識とは、今風に言えばリーダーシップですね。さらに「名刺と言われる人たちは、みな知識人なのだけれども、どうも見識を持った人が少ない、胆識の士に至ってはまことに寥寥たるもので、これが現代日本の大きな悩みの一つである」とこういうふうに書かれています。私も反省するところが多くございます。せめて少しの見識だけでもと、思うわけでございます。
     見識を説明するのに、張本さんが右側で、喝!とか言っているテレビ番組サンデーモーニングを使っています。あの左側に並んでいる人たちは、みんな見識のある人だと思うんですね。あそこまでしっかりした意見を堂々と言える人は、そういないと思います。だけど、あなた立派な意見を仰るからということで、なんとか大臣になってくれとか総理大臣になってくれと言われて、うまくやれるかどうかなんです。自分の見識を実行に移す、他の人に実行させるリーダーシップっていうのは、もっと次元が高い。だから政治家などは、見識の上に胆識がないと人を引っ張っていけないと思います。ただ、中には見識はおろか知識すら疑わしい政治家もいるようですけどね。

    自分の価値は?
    読書についての、研修生の本音です。「推理小説やビジネス本ばかりです」-読んでいるだけマシでしょうか。「仕事に繋がる本だけが読書では」「実践で勉強しているから読書は不要と思っていました」-これ実は管理職なんです。管理職がこんなことを言っているんです。大きな誤解ですね。「何十年も本を読んでいません、新聞の一面だけ読んでおけば十分だと習った」「中学卒業以来読んだことがない」-これは現場監督者です。これが実態なんですね。どこかの大企業さんの実態です。
     こんな勉強しない日本人を見て、喜んでいる人がいます。誰でしょうか。私が反対の立場だったら喜びますね。「別に尖閣なんか武力で取らなくたって、この国いずれ自滅するんじゃないか」
     「勉強しない中位層」という新聞記事があります。これは日本人とおき換えたらいいと思うんです。要は「単純反復労働は海外に出る。常に勉強しておかないと機会を失う。日本では一生続けられる仕事が減っている」という警告なんですね。なぜか、それは日本人の給料は中国人、インド人の10倍以上だからです。製造業だと人件費の比率は25パーセントから30%ぐらいではないでしょうか。それを彼らは10分の一でやるわけですから、多少品質の違いがあったにしても勝てない。そういうことで、私も2002年にタイでの現地生産に行ったわけです。
     結局、彼らの給料10倍分の「日本人の価値は何か」ということです。言われたことだけやる程度の人では、給料は10分の一でしょうか。本を読まない、勉強しない人も、日本人の自覚がないというべきでしょう。自分自身で勉強して考えて、工夫したり改善したり、彼らにない彼らの10倍の価値を発揮しないと、日本は存在できない。それくらいの覚悟を持つべきではないでしょうか。
     以上が「知育」の話です。とにかく日本人は、1人1人が勉強し、その力を最大限伸ばすべきだということをお話ししました。

                                徳育

    「なぜ人を殺してはいけないんですか」
     後半に入ります。去年10月の新聞ですが、「小学6年生に、透明人間になったら何をしたいかって聞いたら、人を殺す、強盗するって答えた-岐阜県の公立小学校の卒業文集にそのまま掲載されて保護者に配付されて大騒ぎになった」「この子ども達は家庭でも学校でも人を殺してはいけないということを教えられてこなかったんじゃないか」「小中学校での道徳教育の教科化が平成30年から始まる」とあります。
     私はこれを読んで、この文集をそのまま載せる先生も先生だし、人を殺してはいけないと、こんなことをわざわざ授業で教えなくてはいけないのか、今はそんな世の中なのかと、すごく考えさせられました。
     池田小学校の事件は大阪でしたかね。あの後、テレビで子どもたちを含む討論番組でのこと。子どもが大人に質問したというんです。「なぜ、人を殺してはいけないんですか」と質問した。そしたら、大人はみな絶句して誰も答えられなかったというんですが、それ本当だろうかと思うような話ですね。
    最近では、イスラム国に戦闘員として北海道大学の男子学生が行っちゃったと。ワイドショーでのインタビューに対して「大学生にも行動の自由がある」と若い人が答えたというんですけどね。世の中全体、こんなことに不感症になっちゃってるんでしょうか。

    教育、政治家、会社・・
     こんな感じで、教育では、いじめ、そしてほんとに痛ましいんですけど、親が自分の子どもを虐待死したニュースがしょっちゅうあります。政治家で言えば、今日私が来た県というか都では、一泊20万円のスイートルームとか週末に公用車で別荘通いとかいう話題で持ちきりなんですけど。それから、こちらの方では号泣県議が切手代何十万円、何百万円。それから不倫のゲス議員とかですね。また甘利大臣を舌鋒鋭く追求した政調会長さんが、自分自身も地球5周分のガソリン代を計上していたとか。政治家もそんな話がいっぱいあるようですね。会社においては、最近は東芝の不正会計、旭化成建材の杭打ち偽装、三菱自工の燃費データ不正などがあります。今までもたくさんありました。雪印乳業は杜撰な製品管理で食中毒を起こしたり、名門の高級料亭船場吉兆は使い回しをし、ミートホープという精肉会社は古い肉を混ぜて売ったとか、いずれも倒産しましたね。だからこの「徳育」に関しては、教育界だけでなく、政治家、会社など、社会全体の問題じゃないかと思うわけです。

    「道徳」とは?
     前置きが長くなりましたけど、じゃぁ、「道徳」とは何か。これは、私程度の人間がお話しできるような話題ではありませんけれども、これについても森信三先生が仰っておられます。
     「道徳とは自分で行うべきもので、人に対して説教すべきものはない」「道徳教育の内容としては2つある。1つは道徳的判断力、心の持ち方。もう一つはしつけ。形から身につける、社会的決まりに従ってわが身を動かす身体的問題」と、こう言っておられます。道徳を、道徳的判断力としつけの二つに分けていただくと、とっても分かりやすいですね。
     そして「道徳的判断力が実行と結びつくようにするために、しつけという桶の底を入れることだ」。親や先生がいろいろ言ったってなかなか難しいから、まず形である、しつけをきちんとすることだと。これも森先生の表現ですが、「コップを上向きにする」ということですね。横を向いたコップに上から水を注ぐと辺りが汚れます。コップを上向きにして水を注ぐと中にちゃんと入る。この「しつけ」というのが、人の心のコップを上向けにする役目があるということだと思います。

    「再建の三原則」
     あなたの職場でこんなことはないですか? 「始業5分前に閑散としている」「会議が時間通りに始まらない」「朝、挨拶をしない、しても小声だ」「どこに出張しているのかわからない」「机の上に書類がたまっている」「窓ガラスが汚い」 まあこんな感じでいろいろあると思いますけど、これらを分類すると、だいたい時間と人間と空間の3種類に分かれます。これらについて、一々皆さんが職場で注意するのは大変なエネルギーであり、お互いに消耗するだけですね。
     こういう乱れた組織を再建する手として、森信三先生は「再建の三原則」を提唱されています。「時を守り、場を清め、礼を正す」 とても平易です。表現は平易なんですけど、私はその意味は深く、しかも物事の原理原則をついていると思います。時、これは時間軸(Y軸)。場、空間軸(X軸)。礼、人間としての本質(Z軸)。X軸Y軸Z軸が、空間をカバーする合理的な考え方じゃないかと、私は思います。
     研修センターでは、45年前の設立時から、これは絶対にやるというポイントをいくつか決めて、必ずそれを守らせています。各々2つずつ例を挙げたいと思います。

    「5分前精神」   「時」を守る(1)
     1つ目の例。これは旧日本海軍の言葉ですね。タラップが上がる5分前までに帰艦しないと、敵前逃亡とみなされて、重罪となったというんですけど。いや、ちょっと遅れましてね、と言ったって本音は戦争に行きたくないな、かもしれないですよね。だから敵前逃亡とみなされて重罪になったそうなんです。今はそういうことではなくて、定刻と同時に作業を始められるとか、何かあっても対応できる余裕を持つということですね。これが5分前精神。
     イギリスの海軍の英雄のネルソン提督は、ある本にあったんですが、「偉くなった理由はなんですか」と聞かれて「5分前精神です」と答えたそうです。

    人の三タイプ   「時」を守る(2)
     なんだ、そんなこと簡単じゃないか。5分前に行きゃいいんだろと、ちょっと思いそうですよね。でもこれを身の回りで考えてみると、色々ありそうです。まずイス。自分が座ったイスを出しっ放しにしたまま(A)、元通りに入れる(B)、人が出したものまできちんと入れる(C)。人には、A,B,Cの3タイプあると思います。
     落ちているゴミに対しても同じです。ゴミを捨てる人(A)、自分は捨てないが見ても何もしない人(B)、ゴミを拾う人(C)。A,B,Cの3タイプ。
     上司の指示で、「今週いっぱいこれ頼むよ」と言われて、金曜日の定時頃持ってくる人(B)-これは当り前。あるいは月曜の朝一番(A)。でもすでにタラップが上っているんですね。だいたい、今日中と言ったら明日朝一番、今週中と言ったら翌週の一番ってのが、日本人の納期らしいですね(笑)。ところが今週いっぱいって言われて、木曜日ころに上司にここまでできましたけどって持っていったら(C)、ここちょっとこう変えてくれないかなとか修正の余裕ができる。何よりも上司が、あ~彼はちゃんとやってくれてるなという安心感があるわけですね。大事なものを今週いっぱいって頼んだところが何も持ってこない。土曜日、日曜日、上司はイライラして休みにならないとかですね。大事な仕事だったらありうることですよね。私も部下を多く見てきて、催促しないと報告に来ない人がいますね。朝親に起こされないと自分で起きれないタイプです。こういう人は、人から催促されるのが習い性になっている、そういう人は、そのだらしない姿勢を、余程の覚悟をもって直す、「5分前精神」に変えたら、その人のその後の人生は変わるだろうとも思うほどです。
     私がタイにいたときに、ローカルに言っていたことですが、言われたことをした人は給料はもらえるよ(B)、だけど言われたこともできない人(A)は、給料をもらえない。言われたこと以上のことをする人(C)は、給料に加えてボーナスももらえるよねって話をしていたんですけど。結局、「自分さえ良ければ」と「他人や社会のことまで」という、「私」と「公」に対する意識の差と捉えてもよいかと感じるのです。

    「3S」   「場」を清める(1)
     「3S」は、誰でも知っています。整理、整頓、清掃ですね。だけど定義はどうでしょうか。一つ一つ意味がありますね。研修センターで答えられた人は、2割ぐらいでしたね。「整理」—要るものと要らないものを分けて、要らないものを捨てる、が整理。「整頓」—要るものをいつでも出せる状態にしておくのが整頓。「清掃」—きれいにしておく、現場だったら機械に油を差すとか、そういうことも含めて清掃。一つ一つ意味があるわけで、一般的には研修センターに来る社外の先生も、「3Sは現場の基本、大事です」などと言う人はいっぱいおりますけど、やり方まで言う人は少ないですね。
     まず、「徹底する」ということ。例えば庭の草取りをするのに、皆さんはどうされますか。長い草からひく人がおられますか。そしたら、いずれは次々に生えてきますから賢い方法ではないと思います。庭の1区画、今日はこの範囲だけと決めて、そこを徹底的に小さいものまで全部抜く。そして明日は次の区画に移る。会社の3Sにおいても同じですね、今週はここだけは徹底的にやろうやと。そして来週はここをやろうと、1つずつ徹底的にきれいにしていって、全体が終わると全体がきれいになります。普通のやり方は、銘々がホウキや雑巾をもってワーッとやる、全体がある程度きれいになるが、しばらくするとマンネリ化し、いずれ止めてしまう。どこでもやっているような60点のやり方ですね。人間も同じで、あれもこれもするが、どれもこれも中途半端。60点会社、60点人間ですね。掃除とか3SとかISOとかラジオ体操とか、どこの会社でもやっていますけど、それをどれだけ徹底するかということですね。
     もう1つは、「自分がやる」ということです。私が工場に久しぶりに帰って、その昔私が座っていた窓際に、若い課長さんが座っていました。後ろの窓ガラスは、私が以前休みに出たときなどに、ガラスからサッシから拭いていたんです。いつもいつもやっていて、ぴっかぴっかになっていたんです。それが何年か経って、その人の後ろを見たら、ガラスはべとべと、桟もべとべと。そして課長さんの前にプレートが置いてあって、「3Sの徹底」って書いてあったんです。私は思いました。自分の足元もきれいにできない人が、現場に号令をかけて徹底するだろうかと。彼には言いませんでしたけどね。こんな笑い話いっぱいあると思います。人には言うけれど、自分のことすらできていない・・・。

    「割れ窓理論」   「場」を清める(2)
     お聞きになったことがあるでしょうか。割れた窓を放置すると、やがて他も窓もすべて壊されるというアメリカの犯罪学の理論だそうです。ニューヨークのジュリアーニ市長が、警察を動員して軽犯罪を徹底的に取り締まったと。そしたら重犯罪まで激減した。日本でも、東京ディズニーランドはささいな傷も惜しみなく手入れして、従業員と客のマナーも向上したとか。町を歩いていて、ゴミがある所には他の人もゴミを捨てていくわけですが、ゴミのないきれいな所には誰も捨てないという、これが割れ窓理論だそうです。
     これを研修センターでは、はきものでやっています。トイレのスリッパは、脱ぎっぱなしだとバラバラですよね。ところが「出船精神」という、次の人が履きやすいように向こう向きに揃えるんです。これも旧日本海軍の言葉のようです。駐車するときも同じで、出やすいように出船型に車のバックを奥にして停めるとすぐに出やすいですね。そして、スリッパの間隔まで揃える。これをいつも徹底してやっています。研修はだいたい3泊4日ですが、最初の頃は乱れていても、研修最終日にはびちっと揃っています。その頃には研修生の目つきも変わっています。一生懸命やりました、今日の発表を見て下さいというように、顔が輝いています。
     ある人に聞いたJRの三島研修センターの話です。そこのトイレの貼り紙には、『三点接触、直角出船』とあったそうです。つまり靴一足の内側一点、カカト二点を手前の脱ぎ台に接触させて「三点接触」ですね。そしてそれらを脱ぎ台に直角におく。そうすると、幾何学的に向こう向きのスリッパがきちんと揃うということを言ってるんですね。さすが世界一の新幹線の運転士さんの教育センターだなと。新幹線が事故でも起こすと大変ですからね。参考までに、私の会社の研修センターのトイレの貼り紙には、「はきものは、足で揃え、手で揃え、心で揃え」とあります。

    挨拶は自分が先に、呼ばれたら「ハイ」   「礼」を正す(1)
     挨拶は自分が先に-少し地位が上がったりするとですね、相手が自分に対して挨拶するかを見て、相手がしたら返すみたいな、だんだんそういうふうになりがちなんですね。だけど、相手が誰であっても自分が先に挨拶しましょう、たとえ地位が上がっても自分が先に挨拶しましょうとしています。挨拶を漢和辞典で引くとおもしろいです。挨(お)す、拶(せま)るとあります。いわゆる、会釈とかお辞儀というのは、日本に入ってきてそういう意味になったようです。挨拶の本来の意味は、相手の心を挨(お)して、その心に拶(せま)るってことですから、自分が先に挨拶をするということですね。
     呼ばれたら「ハイ」と返事をしましょう-お医者に行くと、看護婦さんが「なになにさん」と呼びますよね。はっきり「ハイ」と声を出す人は少ないですね。近くに行って看護婦さんに「ハイ」と小さい返事をしたり。
     さて、自分が先に挨拶する、呼ばれたら「ハイ」と返事をする-これらは何を意味しているかということです。これは「我」を指しています。俺が俺がの我です。我があれば、相手の出方を見て挨拶をするとかね。呼ばれたら、まぁ返事してやるかみたいな。素直でないと、できないということです。だからこれらができるようになるということは、「我を去る」ということですね。

    「分離動作」   「礼」を正す(2)
     ご存じでしょうか。「おはようございます」をやってみますね。「おはようございます」(と言った後に頭を下げる、動作を分ける)。私は実は研修センターに行って初めてこれを知りまして、冷や汗をかきました。言いながらお辞儀ってのは、床に向かって話すから元気がない印象を与えます。45度の言いながらお辞儀よりも、30度の分離動作のほうがよほど丁寧なあいさつになるんですね。そう言われてですね、テレビを見ると皇族とか天皇陛下なんかはされていますね。それからデパートできちっと教育された店員さんなんかは、これやってますよね。営業マンでも、これを知らない人はいっぱいおります。研修センターでは、講義の始まりと最後、途中に休憩を挟んでも、その前後に必ずこれをやっています。始まるときに「よろしくお願いします」と言って、講師と研修生の両方が挨拶をします。終わったら「ありがとうございました」って、最初は声は小さいんですが、それがだんだん大きくなって、最後は大きな声で、一斉に唱和するようになります。

    「再建の三原則」の実施例
     この再建の三原則は、スポーツなんかでよくやられているようですね。高校サッカー創部7年で全国制覇された先生について「到知」という雑誌にありましたが、「秘訣は何ですか?」と聞かれたら、その先生は、「礼儀作法、グランドの清掃、時間を守るなど形を整えると心はついていきます」と仰っています。まずは形から入る。そしてコップが上向きになったら、だんだんと道徳的な判断力もついていくということですね。
     また広島県の高校に畑喜美夫先生といわれる先生がおられます。最初の赴任校広島観音高校のサッカー部では、1996年から2006年の10年間で、高校総体に初出場初優勝されたそうです。この先生の「ボトムアップ理論」は有名で、生徒にすべて任せ、自主性を伸ばすというやり方だそうです。練習計画から選手起用から反省会から全部、生徒に決めさせると。最初は時間がかかっても、選手に自主性が出始めたら、あとはどんどん生徒が伸びていくそうです。ネットから引いた、部室の写真です。生徒のクツ、鞄が見事に整然と並んでいます。畑先生は、「部室、更衣室の整理整頓、遠征の宿舎での寝具の片付けなど、身の回りの整理整頓を徹底して行っている、こういうことが彼らの年代には大事なことです」と仰っています。

    「落穂拾い」
     受付で、「落穂拾い」というコピーを4枚頂かれたかと思います。日立製作所は1910年に創業いたしましたが、この創業メンバーの1人、研究開発・製造のトップが、馬場粂夫さんという、専務取締役兼研究所長です。この方は公職追放のあと復帰して、残りの会社人生は、製品社外事故の後始末のしくみを作ろう、若い人を育成しようと、このしくみをミレーの絵の名前からとって、「落穂拾い」とされました。

     何か失敗したら、それをよく反省して次に同じようなことをしないようにするシステムを作ったんですね。お手元に資料がありますので、要点のみお話します。「落穂拾い」の基礎観念ですが、私は本を読んで、その意味を初めて知りました。この方は東洋哲学にすごく通じた方で、この基礎観念はそもそも「人徳」と「信義」と「知行」という精神面の心がけなのですが、これでは一般従業員に難しいだろうと思われて、やさしい表現、すなわち「①他社、他人に不親切ではないか②納品のクレームに対して不信はないか③外に向かって空理空論を吐いていないか」にされたようです。私たちは工場の額でよく見ました。「仕事は注意して進めても、やはり失敗は出る。その場合大事なことは、まず①素直に認める。②経験を役立てる③他の人にも知らせる。これを隠すことは不正直を重ねる道徳的退歩でありそうではなくて、進歩のために役立てるほうがよほど賢明である」と言われております。落穂拾い会議は、日立グループのほとんどの主要な事業所でやられていると思います。
     会議は年一回一日で、親会社から品質保証部の部長以下、私の会社からは品質保証関係の役員、部長、カンパニーのプレジデント、工場長、営業など、そうそうたるメンバーが参加します。取り上げるテーマは、この1年間で顧客迷惑度が大きかったものものとか、不良損金が莫大であったものとか、そういうものが2ないし3件取り上げられます。どんな審議をするかというと、1つは「技術的原因」の追究ですね。なぜそういうことが起きたかを、技術的に徹底的に追究解明させること。もう1つは、ここが特徴なんですけど、一般的な言葉かどうか知りませんが、私たちは「動機的原因」と呼んでいますが、なぜそういうことをするにいたったのかということを、事故の起こったその時点に遡って考えようということです。例えば、ルールがなかったとか、あるいはそういう作業者教育がなされていなかったとか・・・。そういうことを、徹底的に色んな角度から審議するわけです。そして、最後に一番大事なことは「再発防止策」です。同じような事故を二度と繰り返さないために、どういうことをするかということをきちっと審議します。親会社もいろいろ言うわけで、かなり厳しい会議でありました。テーマは、その後何年間かは定期フォローされます。
     これをご紹介しましたのは、何も日立が立派な会社だとか、そういうことを言っているわけじゃございません。仕事をすれば失敗は起きる、しかしその失敗を正直に認めて、その経験を生かし、再び同じような失敗を繰り返さない対策をきちんととることが大事だ。嘘をついて信用を失うよりも、よほど賢いことなんだということなんです。

    さいごに
     前半は、「知育」、特に読書ですが、是非皆さま方、経営者ご自身もそうですし、若い人のために、家庭や職場でそういう雰囲気を作って頂きたいと思います。そうでないと、日本は世界の中でますます地盤沈下していくと思います。新聞を読んだりスマホをいじったり仕事だけしておれば、勉強したと錯覚している人がいっぱいいます。それは知識、情報、インフォメーションなんです。ところが今我々がより必要とするのは、教養、インテリジェンスなんです。知識を使って新しいものを作り出す、見識を生み出す教養です。
     後半は、昨今の教育から政治家から名門企業まで、自分のことしか考えない現代社会について考え、「徳育」、その中の「しつけ」についてお話しました。いろいろ悪いことも申し上げましたが、しかし私は海外に通算5年おりまして日本を外から眺めて、やっぱり日本が海外に対して誇れることは、正直とか信用とか、そういう日本精神ではないかと思います。東日本大震災の時には、人々は驚くような規律をもって対応し、海外の称賛の的になりました。そして2014年のブラジルでのワールドカップでは、日本チームが負けたあと、日本人サポーターは応援席に散らばったゴミを拾って歩いた、相手チーム側のスタンドまで行って拾った人もいたとか。それが世界で評判になったという話がありました。こういう日本精神は、私たちの誇りだし、我々日本人のDNAの中に組み込まれているのだと思います。私たち日本人は、自分の国と精神性に自信と誇りをもって生きていきたいと思います。
     私のお話が、少しでも皆さま方のご参考になれば嬉しく思います。どうもありがとうございました。≪拍手≫